グリーンブーツ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=4358124 / CC BY SA 3.0
#1996年没
#エベレストで遭難死した人物
#ミイラ
#生年不明
#身元不明の人物
登山者が撮影したグリーンブーツ。
2010年撮影。
身体の左側を下に横たわっている点に注意。
グリーンブーツ (Green Boots) は、エベレスト山頂への主要なルートとなっている北東稜ルートで、ランドマークとなっていた身元未確認の遺体に付けられた呼称。
この遺体は公式には身元が確認されていないが、インド人登山家で1996年にエベレストで遭難死したツェワング・パルジョール (Tsewang Paljor) と考えられている。
「グリーンブーツ」という呼称は、遺体が履いているコフラック (Koflach) 社製の緑色の登山ブーツに由来する。
北側から登頂を目指す者は皆、この標高8,500 m (27,900 ft)に位置する石灰岩が張り出した洞にあるこの遺体に遭遇する。
2006年には、デイヴィッド・シャープがエベレストへの単独登頂に成功した後、この「グリーンブーツ・ケーブ (Green Boots’ Cave)」で遭難死した。
最初にグリーンブーツを記録した動画は、2001年5月21日にフランスの登山家ピエール・パペロン (Pierre Paperon) によって撮影された。
この動画で、グリーンブーツは身体の右側を下に横たわっていた。
パペロンは、シェルパたちから、この遺体について、6ヶ月前に登頂を試みた中国の登山家のものだと聞かされたという。
長年にわたって、この遺体は北ルートのランドマークとして知られ、また、デイヴィッド・シャープの死との関係でも知られてきた。
2014年5月、グリーンブーツが姿を消したという報告がなされ、撤去されたか、埋葬されたかしたのだろうかと憶測を呼んだが、2015年には再び目視されるようになった。
グリーンブーツは、インド人登山家ツェワング・パルジョールであると広く信じられており、彼は2人の同僚とともに1996年に登頂を試みた日にコフラック社製の緑のブーツを履いていたが、可能性としては彼と同じ登山隊のメンバーであったドルジェ・モルップ (Dorje Morup) だとも考えられる。
1996年のエベレスト大量遭難では、8人の遭難死者が出たが、その中には南東ルートを進んだアドベンチャー・コンサルタンツ隊やマウンテン・マッドネス隊の5人のほか、北東ルートをとった3人が含まれていた。
この3人は、インド・チベット国境警察 (ITBP) が派遣したインド隊の登山家たちであった。
この遠征隊を率いていたのは、モヒンダール・シン隊長 (Commandant Mohinder Singh) で、彼は東側からエベレストに登頂した最初のインド人であった。
1996年5月10日、ツェワング・サマニア大尉 (Subedar Tsewang Samanla)、ドルジェ・モルップ上等兵 (Lance Naik Dorje Morup)、ツェワング・パルジョール曹長 (Head Constable Tsewang Paljor) の3人が、山頂を目前にして吹雪に襲われた。
6人の登頂隊のうち3人は撤退したが、サマニア、モルップ、パルジョールは、そのまま登頂を目指した。
ネパール標準時で 15:45 ころ、3人は山頂に達したと無線で隊長に報告した。
彼らは山頂に、タルチョーやハタ、ハーケンを捧げ物として残した。
ここでリーダーのサマニアは、宗教的儀式のために時間の余裕を使うことを決め、他の2人には下山を指示した。
その後、無線は途絶した。
直下のキャンプでは、隊員たちが、標高8,570メートル (28,117 ft)の第2ステップのやや上方を下山する2人のライトを目視した。
しかし、3人はいずれも、標高8,300メートル (27,231 ft)に設けられていた前進キャンプまで帰還することができなかった。
後に、この遭難をめぐって、福岡チョモランマ登山隊の日本人登山者たちが、行方不明となったインド隊の隊員たちの救助を怠ったのではないかとして論争が起こった。
福岡隊は、標高8,300メートル (27,231 ft)に設けた彼らのキャンプを、中国標準時 06:15 に出発し、15:07 に登頂へ到達した。
その途中で、彼らは他の登山者たちに遭遇していた。
彼らは、インド隊に行方不明者が出ていることは知らず、皆フードの下にゴーグルと酸素マスクを着けていたこの登山者たちを、台湾隊のメンバーだと思い込んでいた。
15:30 から下山を始めた福岡隊は、第2ステップの上方で何かわ…