2022年4月19日、世界最高齢であった田中力子さんが死去した。英国のヴィクトリア女王が亡くなったわずか2年後、第一次世界大戦が勃発する11年も前、彼女は1903年に生まれた。2度にわたる世界大戦、スペイン風邪、冷戦、そして最近ではCOVID-19の危機を乗り越えたのだ。
彼女が残した長寿と幸せの秘訣に迫ろう。
田中力子さんの訃報
田中力子さんは、現在は福岡市に吸収された小さな村に生まれた。小学校を卒業後、両親や親戚の子守や家事を手伝っていた。
彼女は19歳の時に従兄弟と結婚した(当時は一般的であった)。2人の間には4人の子供がいたが、悲しいことにそのうちの2人は2歳を迎える前に亡くなっている。また、姪や甥の面倒を見ることもあったそうだ。そして、この夫婦は餅屋を開業することとなった。
第二次世界大戦中、夫はソロモン諸島、長男は朝鮮半島に徴兵され、最終的にはモンゴルで捕虜となった。幸いにも二人とも戦火を逃れ、無事に日本に帰ってきた。
夫がいない間、力子さんは餅屋を続け、日本海軍基地でうどん屋を始めた。この間、義理の両親や姪、甥の面倒も見ていたので、大変だったそうだ。夫が戦地から戻ると、二人で新たな家業を始めた。まず幼稚園を開き、1970年、67歳のときに花屋を始め、その後10年間経営した。
119歳という長寿を全うした力子さんだが、健康上の問題は抱えていなかったわけではない。パラチフス、膵臓がん(1948年、43歳で完治)、白内障、大腸がんなど、入院経験もある。ご主人は認知症で、残念ながら1993年にお亡くなりになったが、それでも90歳という長寿を全うした。
また、力子さんは自らの子供達よりも長生きで、最後の一人は5年前にお亡くなりになった。残された親族は、5人(以上)の孫と8人(以上)の曾孫である。コロナ禍であまり会えなくなったそうだが、晩年は孫たちがよく訪ねてきてくれたそうだ。晩年は体調を崩したが、元気な気概をお持ちの方で、119歳で安らかに息を引き取った。
116歳になる年、市長が彼女を訪問し、いくつかの質問をしたが、それに対して彼女は鋭くかつ機知に富んだ答えを返した。「長生きの秘訣は何ですか」と聞かれ、「自分自身であること」と彼女は答えたそうだ。さらには、「最も幸せな瞬間は?という質問には、「今!」と答えました。そして、「健康でいるための秘訣は?」という質問には、「何でも食べて、感謝してください」と答えた。そして、コカコーラや日本の炭酸飲料が好きで、チョコレートも大好きだと、市長に話したそうだ。特に健康的な食生活を送っていたわけではないが、食べるものを全く制限しないことで、幸せだったようだ。
愛する人たちに囲まれ、幸せな人生を歩んだ彼女の姿勢は、死去間際まで極めて前向きだった。
日本という長寿社会
日本は世界一の少子高齢化が進んだ国であり、100歳を超える人は約86,150人もいる。実際、東京では出産手当が出るほど高齢化が進んでおり、今後数世代で人口が激減することが懸念される。
力子さんはコカコーラとチョコレートを勧めているが、日本における長寿の秘訣は「腹八分」だと言われており、食事と運動を適切に行うことが重要だ。日本の高齢者はあまりお酒を飲まず、タバコも吸わず、不摂生であることは稀である。野菜、果物、豆類、炭水化物など食事もバランスよく摂取するようだ。また、脳を活性化させ、ストレスをためないようにすることも健康の秘訣である。日本では、ピンボールとスロットマシンを掛け合わせたようなゲームであるパチンコが人気だが、長生きしている方は数独などを遊ぶことが多いようだ。
現在、存命している世界最高齢は一体誰なのか?
日本は世界一の少子高齢化国家であり、現在の日本人最高齢者は115歳である。しかし、世界全体における最高齢者はフランスの修道女リュシル・ランドンさん118歳であり、史上最高齢の修道女でもある。アンドレは、今でもワインとチョコレートが好きで、毎日夕食時にワインを一杯飲んでいるという。116歳を迎えた2021年の初めにコロナの陽性反応が出たが、わずか3週間で完治した。
彼女は1904年に生まれ、第二次世界大戦中は子供たちの世話をし、その後近くの病院で孤児と高齢者の世話に従事した。その後、教会で修道女となった。現在、彼女は老人ホームで暮らしており、「天国ではもっといい暮らしができる」とよく話しているが、「それは主が未だお望みでない」とのことだ。
歴史上の最高齢者もフランス人である。彼女の名前はジャンヌ・ルイーズ・カルマンで、122歳と164日で死去した。
人の死はいつだって悲しい。しかし、119歳の田中力子さんが充実した人生を送ったことは間違いないだろう。お子さんを亡くされたり、体調を崩されたりと、苦難の連続ではあっただろうが、力子さんは最後まで前向きで穏やかな気持ちでいられたのだ。